父の響育(きょういく)その1
教育とは教えて育てるという意味がある。しかし、楠瀬家には独特の育て方があった。
それは「教育」ではなく、「響育(きょういく)」というものだった。
朝起きて食卓に座っている両親に「おはようございます!」と
言えば、「その響きは、『おはよう』ではないだろう」と叱られる。
学校へ行くのに「いってきま〜す!」と言えば、「待ちなさい!
それは、『いってきます』の響きじゃないでしょ!」と叱られる。
学校から戻り「ただいま!」と言えば、「そんな響きではお帰りとは言えないわ」。
食事を目の前にして「いただきます!」を失敗すれば、いつまでも食べさせてもらえない。
「ありがとうございます」を間違えようものならもう大変なことになる。
小学校に上がったばかりの子供に容赦のない日々が続いた。
実は、恥ずかしいことに今でも母には時々、
「そんな響きで誰が協力してくれるというの?」と言われる。
父は口癖のように言っていた。
「すべての言葉には音がある。それを自分の音色(ねいろ)で伝えてこそ人に伝わるんだ」
確かに日本語は五十音でできていて、音の連続でもある。
父に算数や国語を教わったことは一度もない。
響かせることを教わる中で礼儀、思いやり、感謝を徹底的に叩き込まれてきた。
しかし、スポーツの世界へ向かっている弟にその響育は
全く実施されず、彼は別の苦行に明け暮れていた。
苦行、長男の僕には夕食後にそれはやってくる。